自動車等試験研究のまち・士別市
わがまちの個性・自動車等試験研究のまち
積雪寒冷な自然条件や風土のもと、冬季を中心に自動車関連の試験研究が数多く行われています。
試験研究の円滑な実施のための支援や来訪者の受け入れ態勢の充実に向けて、相互の連携を図るなど、試験研究のまちとしての取り組みを進めています。
自動車等をめぐる寒冷地試験の変遷
昭和37年頃から
北海道における自動車等の寒冷地試験は、昭和37年頃から、層雲峡や石北峠を中心に、キャラバン隊により、適地を探しながら実施していましたが、その後、試験項目・部品の多様化へ対応するため、常設の試験場が必要視され、候補地の検討が進められました。
昭和50年代
昭和50年代、自動車産業は国際的な競争時代に入り、北国での需要増から、雪道での安定走行や極寒時の始動性などに優れた車が求められるようになり、昭和54年、国内メーカーが北海道で最初の試験場を設置しました。
その後
その後、国内の各自動車メーカーをはじめ、タイヤメーカーや自動車部品関連企業が次々と道内に試験場を建設。
特に北海道北部の内陸部は、寒冷地で積雪量も多く、広い土地が比較的容易に確保できることから、寒冷地試験の適地として試験場の造成が進められ、現在、道内の自動車関連試験場は28を数えます。
「自動車等試験研究のまち」誕生まで
冬期間における耐寒試験
士別市での冬期間における耐寒試験は、昭和44年に、ヤマハ発動機株式会社のスノーモビルの走行試験が行われて以降、多数の自動車メーカーが冬期間のみ市内の旅館に宿泊しながら、耐寒試験を実施するという形態で行われていました。
自動車関連の試験場造成が進む
こうしたなか、世界屈指の自動車メーカーであるトヨタ自動車株式会社は、耐寒・高速走行試験のための本格的な試験場の造成に向け、昭和54年から試験場の候補地選定を開始し、諸条件を満たすとして、士別市を試験場候補地として選定。その後、昭和59年に、温根別町仲線地区にトヨタ自動車株式会社士別試験場を完成させました。
その後も自動車関連の試験場造成が進み、昭和62年には、西士別地区に株式会社交通科学総合研究所士別試験場、平成4年温根別町白山地区にダイハツ工業株式会社北海道自動車試験場、平成6年西士別地区にヤマハ発動機株式会社士別テストセンター、平成8年多寄町東陽地区に株式会社ブリヂストン北海道プルービンググラウンドが完成しました。
これら5か所の試験場の総面積は、行政区域面積の約2.8%を占める1,670haに及び、全国に類のない規模の試験場の集積地となりました。ヤマハ発動機株式会社の耐寒試験開始から半世紀を超える歴史と、通年使用が可能な試験場の建設により、士別市はかつての冬期間の耐寒試験だけのまちから、自動車等試験研究のまちへと変貌を遂げました。
自動車等試験研究のまちへ
自動車試験関連で士別市を訪れる方は年間約2万人を数え、定住人口を超える交流人口は、宿泊施設や飲食店を中心に、地域経済の活性化に貢献しています。
また、試験場を利用したイベントの開催など、立地企業と市民の交流も進んでおり、士別市に立地する自動車関連企業の密接な連携は、地域経済のみならず、まちづくり全般に大きく関わっています。
この記事に関するお問い合わせ先
総務部 企画課 まちづくり推進係
電話番号 0165-26-7790
更新日:2023年02月15日