歴史×スポーツ


本市には、屯田兵にまつわるさまざまな遺跡や、北海道を探検した松浦武四郎氏ゆかりの地があるほか、本市の歴史において重要な建物なども残っています。
市立博物館では「士別再発見マップ」を作成し、まちの歴史的スポットを紹介しています。
ウォーキングで市内の遺跡などを巡り、まちの歴史に触れながら、健康づくりに取り組んでみませんか。
歴史を伝える「士別再発見マップ」
士別再発見マップでは、遺跡などを35カ所紹介しており、地図アプリに対応したコードも記載しています。
歴史探訪と健康づくりを、同時に楽しんでみよう
屯田兵家族上陸の地碑

明治32(1899)年に、士別屯田兵の家族が、剣淵川を下って最初に上陸した場所です。川には、当時の面影が残っており、士別の歴史の始まりを感じることができます。
士別駅前倉庫群

明治時代から、デンプンの保管に使用されていた倉庫です。当時は4棟あり、現在は3棟残っています。100年以上たった現在でも、農業用として利用されています。
丸武児童公園
明治44(1911)年、西條武平氏が私有地を開放し、私費で設置した公園です。設置のきっかけは、周辺の道路で遊んでいた幼児が馬車にひかれた事故といわれています。
当初は「丸武運動場」という名前でした。
左の写真は大正元年に撮影されたもので、公園に隣接する形で倉庫(公園後方の建物)が写っています。この倉庫は現在も残っており、子どもたちのあそび場を見守っています。
大野家住宅主屋

現在の大野土建株式会社が、住宅兼事務所として使用していた建物で、昭和2(1927)年に建築されました。外観は和風建築、内装はアール・デコ(幾何学デザイン)風で、伝統的意匠と近代的意匠が融合した貴重な建築として、2019年に国の登録有形文化財に指定されました。
士別屯田の歴史をたどる
中隊本部・官舎跡



明治32(1899)年~37(1904)年に使用されていた、屯田兵の官舎跡地です。現在は多くの住宅が建っています。
また、いまはありませんが、隊長の官舎は、屯田兵解散後に寺田医院として再利用されました。
練兵場跡(開拓記念公園)

屯田兵が訓練を行っていた場所です。午前中はこの練兵場で訓練を受け、午後から土地の開墾作業に取り組んでいました
士別神社


明治32(1899)年、士別に入地した屯田兵が、開村記念標を現在の九十九山に建て、神さまをまつったことが始まりとされています。
左の写真は明治45年ごろ、右は現在の士別神社です。現在の社殿は昭和5年に建立され、数回の改修を行っています。
屯田兵射的場跡

ここから北側(士別翔雲高校グラウンド横の道路周辺)が、屯田兵射撃場跡です。当時は、この位置から東に向かって射撃訓練を行っていました。
後年、宅地開発で地面を掘ったとき、当時の銃弾が発見された話もあります。
「多寄の歴史にふれる」


およそ6,000年前の縄文時代前期の遺跡です。昭和34(1959)年、民家の下から石器や土器のかけらが発見されたことをきっかけに、士別で初めて専門的な調査が実施されました。
調査終了後に埋め戻されましたが、発掘場所に看板が建てられ、出土物の一部は市立博物館に展示しています。
粘土客土発祥の地碑

粘土客土とは、農業に不向きな土地に粘土を加え、土壌を改良することで
す。明治41(1908)年、多寄の富ふしょう生藤とうきち吉氏が、国内で初めて粘土客土を行い、土壌改良に成功しました。
その後、この手法は道内各地に広がりました。
日向渡船場跡

天塩川によって分断されていた日向農場で、東西の行き来に使われていました。転覆事故も発生していたため、昭和29(1954)年の河川切替工事で橋が設置され、渡船場は廃止されました。
かつての川は、湖として現在も残っています。
ほかのスポットも見て探してみよう
ほかにも、多くの歴史的スポットがあります。距離が遠いところは、サイクリングで巡ってみましょう
広報紙でも掲載しています

本ページの内容は、広報しべつ令和7年6月号にも掲載しています。
市内各所で配付している紙面のほか、本ホームページでも閲覧できます。
より詳細な内容となっていますので、興味のある方は、下記ページからご覧ください。
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会生涯学習部 博物館
電話番号 0165-22-3320
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更新日:2026年05月25日